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スタート オンたの2

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  困った時の・・・ 「平野さん・・・」という手は、よく使っていきます。 当時から、そして現在でも。 メインと考えていたスタッフに・・・。 場所も決められず。 そのために、奔走する時間もない。 四面楚歌だった状態で、チャレンジ大分大会が終わって7か月。 2009.5には「オンたの」がスタート。 すべて、平野さんの行動力のおかげです。 メインに橋本さん。 サブに平野さん甲斐さんなどで小野さんも参加。 松尾はノータッチ。 🙇ごめんなさい。 場所を身体障がい者福祉センター。 みなさんは5名。 ボランティア7名。 スタッフ5名。 見学者の方もいて総勢18名でした。 本当に、お待たせしました。 発表から3年もかかりました。 身体表現あり。 パネルシアターもあり。 「サカたの」とは、違う笑顔がありました。

スタート オンたの 1

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 10回に渡った昔話。いかがでしたか。 たぶん、「サカたの」をご存じの方は懐かしく。 まったく、知らない方には「ふーん」程度かなあ。 のちのち、ご理解願いグランドで会えるようになるとありがたい思います。 オンたの 「音楽を通して楽しい時間を過ごそう」です。 「サカたの」の後に活動を開始しました。 構想は、3人の中ではすぐに固まりました。 「いいねぇ」 しかし、問題が・・・。 メインスタッフと場所 そして、松尾 小野 平野 の3人が2008年の大分で開催された全国障がい者スポーツ大会の中心メンバーで時間に追われていたこと。 などなど、「オンたの」は構想は即決。 実施までには3年以上もかかってしまいました。 「場所」   現在は当たり前のように利用している附属特別支援学校のポプラが利用できませんでした。 当時の副校長先生にお願いに参りました。 「がーん」 帰る時に、 うちひしがれている 私に暖かい声をかけてもらいました。 ここが解決しないと・・・。 悩む日々が始まりました。 「困ったときの・・・・」 どしますか? 相談します。 そうです。 話し合いの中で、解決するしかありません。 平野さんにお願いすことにしました。 困った時の・・・・。

スタート10 2006.5.13

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 とうとう、第1回目の「サカたの」。 待ちに待った。 やっとたどり着いた。 だけど雨。 それでも、新生の体育館を押さえていました。 小野さんが作っているホームページを見ると当時の新生の体育館の木が 小さいのが驚き。 時代の流れを感じます。 参加者 受講者17名  みなさんの最初の人数は17人だったのですね。 ボランティアを入れると80名。 なんと63名も協力者がいたのです。 グループごとに分かれてそれぞれが楽しんで行えるメニューを実施。 みんなの笑顔が広がりました。 「今日は大変喜んでいました。気持ちはすでに次の回へといっています。」 「昨日の練習お疲れ様でした。本人もやる気になっていますので、出来る限り本人に協力をしたいと思います。」 など保護者の感想がつづられています。 いよいよ動き出してうれしい。 みんなの笑顔を見られてうれしい。 保護者の2時間程度の休み時間を作れたかなあ。 など考えたのを思い出します。 そして、一番の思いは 長く続けるぞ。 スタッフの反省会で感謝と同時に長い支援をお願いしたのを思い出します。  

スタート9

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 県のAさんから大分県の障がい者サッカーの説明を受けた。 臼杵に1チーム 佐伯に2チーム 大分に「サカたの」で3チーム。 このチームの参加者を中心にして、大分県選抜を作ってほしい。 活動しながら2008年を迎えるという構想。 2006年の兵庫大会に大分県選抜は参加。 など2つの重大な説明を受けました。 活動資金を出してもらえるにしても・・・。 次々と難題を提案されて・・・。 2008年 チャレンジ大分大会は全国を回る障がい者の全国大会。 障がい者のための大会は、国体の1か月後に毎回開催される。 開催枠で2008年は参加しなければならなない。 その準備のために、2006年の兵庫大会に大分県選抜は参加する。 そのためには、逆算してのチームづくりをしなければなりませんでした。 2006.10  兵庫大会に参加 2006.9  選抜練習会 2006.8  合宿 2006.7  3チームの練習会でメンバーの選考 2006.6  スタッフ会議で監督コーチの決定 無理をして皆さんに迷惑をかけながらの活動。 兵庫大会は東京都戦って 0-18 。 大分県にとっては、厳しい全国デビュー。 そして、東京都のとんでもない強さ。 日本代表選手もいて、世界大会にいった選手も・・。 あきらめずに戦い続けたのは、収穫でした。

スタート8

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 「ヨカたの」の平野です。 サカたのがスタートする直前の数年間、私は新生養護学校(現新生支援学校)で働いていました。 その時、中学部で松尾さん、小野さんと同僚でした。 松尾さんとは附属で1か月同じ学部でお仕事をしたことがあり、小野さんは学生時代からの大先輩😊。 そんなこんなで、ブログの「スタート4」にあったとおり、3人がコアスタッフとして活動を始めたわけです。 当時、話をもらって、本当にワクワクしました。 「めちゃくちゃおもしろそうだ!」「やります!」と言ったのですが、、、。おふたりの「すごさ」を体感していた私は、徐々に「さて、私になにができるのだろう・・・。」と思い悩むことが多く、その思いは恥ずかしながら20年近く経った今でも続いています。 しかし、とにかく「ブレない」ふたりの存在は心強かったです。ふたりについていこう、目の前にある「できること」「できそうなこと」からこつこつとやっていくしかない。 サカたのに行けば、選手たちの笑顔があり、送迎の親御さんたちの優しさがあり、サッカー部の学生たちの元気がありました。(当時のみなさんとは今でもSNSでつながっていて私にとってありがたく、癒される存在です。) 今日まで活動を続けていられるのは、そんな皆様のおかげなのです。 ちなみに、サカたののマークは、私の臼杵養護学校時代の同僚、佐藤大作先生に考えていただきました。 その後に活動が開始される5つの活動のマークも佐藤先生の作品です。

スタート7

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 附属特別支援学校に2回勤務し6年間を過ごしました。 1回目は2年間。 2回目は4年間。 特に、1回目の2年間は、ほろ苦く大きなしこりになりました。 しこりというより、その後の私の生き方の 礎 となりました。 「サカたの」の原点 サッカー教室の原点は、附属でのOさんでの研究でした。 テーマ「左利きのOさんがゴールを・・・・」トいうようなことを考えたと思います。 Oさんによって私は変容しました。 私によってOさん・・・・ですが。 Oさんは後にも登場すると思いますが、「サカたの」にも参加してくれることなります。 「サカたの」のスタートダッシュ 発足にあたり附属のY副校長に相談に行きました。 いつも疲れて寝ている私に、大丈夫か?と心配をしていただいた方です。 当時は、信じられないほど長い時間を附属で生活をしていました。 早く帰りたいと熱望していました。 Y副校長に相談に行くと「会わせたい人がいる」とすぐに席を立ち 私を県庁の障がい者体育協会の担当者に引きわせました。 なんとこの面会で、まだスタートしていない「サカたの」に県の予算がつくことになったのです。 Y副校長の行動力と人脈の広さ 「サカたの」の時流に乗れたすごさ 流れに乗ったときのエネルギーのすごさを実感しました

スタート6

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 発足会 「サカたの」を誕生させるために、大学の講義室をお借りしてスタートの会を開きました。 サッカー部 特別支援教育コースの学生 先生スタッフ 教授 みんな 保護者 会場は、100人近くの参加者で熱気にあふれていました。 たぶん、どこかに画像があるはずなのですが見つけることができませんでした。 見つかればのちにでも掲載します。 ここまで来たのだなあ。 いよいよ始まるなあ。 こんなことができてやっぱりスタッフに感謝でした。 私は、あふれるアイディア。 夢見る突破力。 反面、実務力や継続力には難があると自覚していました。 そこを補ってくれたのがスタッフの方々でした。 大雑把な方向性を語ると見事にきれいに道が見えてくるのです。 今回の発足会も、イメージを伝えたら、担当教授にすぐに連絡。 「特別支援教育コースの学生」も参加することになりました。 何を語ったのか。 今となっては思い出すこともできません。 皆さんの前で、何かを語ったと思うのですが・・・。 大きな夢とみなさんへの感謝。 みなさんと保護者と「サカたの」は歩んでいきたいと語ったのかもしれません。 ちなみに「サカたの」の名付け親は小野さんです。 サッカーを通して楽 しい時間を過ごそう。 これを聞いた時に、私以上に「あふれるアイディア」マンだと感じました。