羅針盤3 ー矛盾ー
私の「羅針盤」は、定年あるいは第二の人生のスタートで考えた。
それは、いろいろな書籍などに触れながら、作っているように思い
大分大学体育会サッカー部の監督を譲りました。
私にとっては大変大きな決断だったと思います。
また、サカたの のメインも譲りました。
この2つの大きな決断は、私の羅針盤か導き出したものです。
その決断の内容については、いずれ触れる機会もあると思います。
今週のテーマは「羅針盤」。
今週のテーマは「羅針盤」。
「羅針盤」1 と「羅針盤」2を読み返して、矛盾を感じませんでしたか?
あれ? と感じた方は鋭い方です。
1と2には矛盾があります。
1 では、旅の途中で羅針盤を君に預けたなら、船はゴールを目指して
2 では、人生の羅針盤は自ら方向付けたいと言う意思が重要になって
としています。
なぜ?
「矛盾」したような表現になるのでしょうか?
ヒントは文頭の私の羅針盤の文章にあります。
何もないところから、羅針盤を決めることはできません。
私の場合は、書籍などに触れながら、羅針盤をつくりました。
つまり、書籍などが「種」だったわけです。
いろいろな「種」によって作られた考えで、羅針盤を作ることができ、まるで自分で考えたように満足していろいろ決断をしたのです。
では、障がいを持っている人の場合は、どうなるのでしょうか?
「種」とは、保護者や支援する大人の言葉や態度だと思います。
では、障がいを持っている人の場合は、どうなるのでしょうか?
「種」とは、保護者や支援する大人の言葉や態度だと思います。
こんな風にすれば、体も鍛えられて長生きできるよなぁとか。
仕事を丁寧にすると、みんなから褒められて信頼される人になるよなぁとか。
まるで自分で考えたように決断していくのだと思います。
自分で作ったように思える「羅針盤」は、
自分で作ったように思える「羅針盤」は、
実は桑田さんの言う預けるが正しいのかもしれません。
そんなことを感じます。
保護者や大人は、「種」を撒きましょう。
保護者や大人は、「種」を撒きましょう。
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